橋本内閣の財政構造改革景気が悪くなったとき!

橋本内閣の財政構造改革景気が悪くなったときに、景気対策として公共事業を行うには財源が必要だ。

しかし、景気が悪くなれば所得や消費や企業収益が落ち込むから、所得税も消費税も法人税も収入が減ってしまう。おまけに、一九九四年には所得税減税を実施したから、なおさら税収が減ってしまった。税収が減った中で、公共事業の財源をどう工面するか。

それは、建設国債として借金でまかなったのである。通常、財政政策として景気対策を行う場合は、景気の悪いときに借金をしてでも公共事業などの財政支出を積極的に行う。これが功を奏して景気がよくなった暁には税収が増えるから、その増収で借金を返済すればよい、と考える。

だから、このときも政府はそう考えた。それ自体は決して悪いことではない。しかし、問題は期待通りに景気が回復するか否かである。前に述べたように、公共事業を効果的に実施できなかったことも響いて、九〇年代中葉の日本経済は、期待していたようには景気が回復しなかった。

それでいて、借金だけは毎年増えていった。国の財政で、今年支払う歳出の財源として、何%を借金(国債)でまかなったかを示すのが、国債依存度である。国債依存度は、一九九二年度で一三・六%だったのが、これ以降急上昇して一九九三年度には二一・六%、そして一九九五年度には二八・〇%に達した。今年の支払に充てる財源のうち三分の一を借金でまかなう状況に近づいていた。ここに及んで、大蔵省(現・財務省)は財政危機宣言を発して財政赤字削減を図り始めた。

九〇年代版財政再建が、「財政構造改革」と呼ばれるものである。橋本内閣が、六大改革と称した改革のうちの一つである。一九九七年度当初予算が財政構造改革元年と称して編成され、一九九七年十二月には財政構造改革法が成立する形でその成果をみた。この財政構造改革法の内容には、画期的な部分があった。その内容は、次のようなものであった。

①二〇〇五年度までに、国と地方自治体の財政赤字を対GDP比で三%以下にすること。

②二〇〇五年度までに、赤字国債の発行をゼロにして国債依存度を引き下げること。

③その期間中は聖域を一切設けず主要経費に関して具体的な量的縮減計画を定めること

である。こうしたことを法律の条文に書いたことが画期的だった。八〇年代の「増税なき財政再建」のときでも、同様の方針を定めてはいたが、法律で規定することはなかった。法律で規定すると、時の政権はこの条文に拘束されるから、法律で明文化するか否かは重要な違いである。

事実、財政赤字削減の方針を法律では明文化しなかった「増税なき財政再建」のときには、一九八〇年度に、一九八四年度までに赤字国債の発行をゼロにすると宣言しながら、実現できず目標を覆し、結局目標達成を一九九〇年度に延期した。法律に目標年度を明記すると、それを守らなければ法律違反になるわけだから、政府が財政赤字削減に強い決意を示した証になる。

ただし、この法律が改正されなければ、の話である。一旦法律を作って遵守するという姿勢を示しておきながら、それを覆してしまうことほど、信用を失うことはない。まさに、朝令暮改とはこのことである。一九九八年五月、一九九七年四月からの景気後退を受けて、同法は財政健全化目標を事実上棚上げにする形で改正された。

さらに、同年十二月、同法停止法が成立し、財政構造改革は完全に失敗してしまった。橋本内閣が作った財政構造改革法を、同じ自民党の同じ派閥出身の小渕内閣が、その法律を停止してしまったのである。なぜ、財政構造改革は頓挫してしまったのか。

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