金本位制と管理について。管理通貨制が定着したのは?

金本位制と管理

通貨制通貨の歴史を見ていくと、金本位制から管理通貨制へと移行してきたことがわかります。ただし、直線的にその道をたどってきたわけではありません。金本位制とは、「金(Gold)」を裏付けとして通貨が発行される形態をいいます。

先ほどの、通貨の機能のうちの3つ目「価値の保存」の価値を裏付けるために「金」を使ったということです。価値の基準(尺度)、価値の交換(決済)の2つは、通貨自体に価値の裏付けがなくても(短期的には)何とかなりますが、価値の保存には人々は通貨に何らかの裏付けがないと困ると感じるのです。もし通貨自体がまったくの無価値になってしまったら、その通貨で何かを買うことができなくなってしまいます。それは、価値が保存されなかったことを意味してしまうわけです。

さて、その昔、通貨は金(Gold)そのものを使って作っていたこともありました。地域、時代によって銀や他の貴金属だったこともあります。さらに時代を遡れば、貝、あるいは帳簿としての石板をそのまま通貨として流通させていたこともあるようですが、ここではとりあえずそこまでは遡らないものとします。歴史的な流れを見ると、金貨の時代があって、その後、兌換紙幣の時代があって、さらにその後、不換紙幣の時代になると理解している人が多いのではないかと思います。金貨の時代、そして兌換紙幣の時代が金本位制、不換紙幣の時代が管理通貨制と理解しているのではないでしょうか。

そして、管理通貨制が定着するのは、いわゆるニクソンショック以降だと思っている人も多いと思います。大きな流れとしては間違いではありませんが、実はニクソン大統領よりも800年近く前に管理通貨制を導入した人がいました。その話の前に、通貨と銀行業についての話をしておきましょう。銀行業は、中世のヨーロッパ(ドイツ)で始まりました。

当時から、金(Gold)は貴金属として価値があり、また、加工がしやすいことで流通(持ち運び)にも便利なため、価値交換の媒介役、あるいは価値保存の道具として重宝されていました。アドルフ・ゴールドスミス(ゴールドシュミット)という金の細工師は、持ち運びに便利なように今のコインのような形に金を細工して、人々に重宝がられていました。

金を加工したり、金の純度を正しく守ったりするため、あるいは金を盗まれたりしないように、ゴールドスミスは金を保管するための大掛かりな金庫を必要としました。やがて、ゴールドスミスの金庫が便利そうだと思った近所の人たちは、「手数料を支払うから、家にある金を安全に保管するために金庫を貸してくれないか」と頼んできます。ゴールドスミスは快諾し、有料で金を預かる「金の預かり所」のビジネスを始めます。

ゴールドスミスは金を預かると、金の持ち主に紙の預かり証を渡しました。どのくらいの金がゴールドスミスの金庫にあるかが書かれたものでした。この預かり証をゴールドスミスに提示することで、金庫の中の金はいつでも持ち主の手元に戻せるようになっていたわけです。

これが、銀行業の始まりだと言われています(現在は銀行の方が利息を支払いますが、当時は預けた人が手数料を支払うシステムでした)。この紙の預かり証ですが、やがて金そのものの代わりに決済に使われるようになります。この預かり証をゴールドスミスのところに持っていけば、金庫の中の金がもらえるわけですから、事実上、金と同じ価値を持つと考えられられたのです。これが兌換紙幣の始まりとされます。ゴールドスミスが銀行業の始まりと言われるのには、もう一つの理由がありました。

それは、ゴールドスミスが金の貸し出しを始めたからでした。金の預かり所のビジネスを何年も続けているうちに、ゴールドスミスは、金の預け主たちが金そのものを金庫から取り出すことをほとんどしないということに気が付きます。彼は「だったら、この金を必要な人、ほしがっている人に貸しても問題ないのではないか。少なくとも金の持ち主が金庫から取り出す前に返却してもらえば何の問題もないはずだ」と考えたのです。

そして、利息を付けて金を貸し出すようにしたのです。もちろん、金そのものを貸し出すわけではありません。「金の預かり証」(≒紙幣)を貸し出すのです。これを続けるうちに、ゴールドスミスは「金の裏付けがなくても、預かり証を発行することはできる」と気付きます。現在の銀行も、自己資本の何倍ものお金を貸し付けることができますが、これを最初にやったのがゴールドスミスだったのです。

ここに至って、ゴールドスミスは「通貨発行権」を手にしたことになったのです。ところが、やがて町の人々はゴールドスミスに対して疑いの目を向け始めます。「いくらなんでも、預かり証に書かれた金の量は多すぎる。預かり証をすべて集めて、書かれている金の量を足し算したら、金庫にある金の量をはるかに超えるのではないか。自分たちの預けた金はもう金庫になくて、全部、誰かに貸し出されてしまったかもしれない。

だとすると、自分が持っているこの預かり証をゴールドスミスのところに持っていっても、金を払い戻してもらえないのではないか」ちょっとした「取り付け騒ぎ」が起こったわけです。金の預け主たちはゴールドスミスに対して「俺たちの金が本当に金庫にあるのかどうか、中を見せろ」と迫ります。このときはまだ、金の貸し出しをそれほど大きくはしていませんでしたし、信用貸し、つまり金をそのまま貸し出していたわけではなかったので、彼らが預けた金はゴールドスミスの金庫にしっかりと保管されていました。

安心した金の貸し手たちは、逆にゴールドスミスの事業を支援する側に回る(利益を分けてもらう側に回る)ことになります(やがて本当の取り付け騒ぎが起こることになるのですが、それはまだ先の話になります)。

ちなみに、アドルフ・ゴールドスミスの義理の姉(兄の妻)の実家はロスチャイルド家でした。ゴールドスミス家とロスチャイルド家は、その後も金融業を拡大させていきました。さて、では改めて管理通貨制の話をしましょう。ノルマン人として初めてイングランドの王位についたウイリアム1世(征服王)の息子で、ノルマン朝第3代イングランド王のヘンリー1世は、度重なる戦いのための費用を工面するため、多額の借金を背負っていました。

そこで、ヘンリー1世は「タリースティック」と呼ばれる通貨を発行することにしました。「タリースティック」とは、木の棒でできた通貨でした。研磨して、切れ込みを入れて、金額がわかるようにはしていますが、金(Gold)などとは違い、もとは単なる木の棒です。これを「タリースティックは納税金に値するものである」と宣言して、流通させたのです。金の裏付けどころか、もともとただの棒切れ以上の価値を持たないものを「通貨」として流通させたわけです。

この「タリースティック」も、もとは借金の借用書でした。「いくら借りている」ということがわかるようになっていて、その借金が裏付けと言えば裏付けです。実は、現在の管理通貨制のもとでの通貨(紙幣)は中央銀行が発行する借用書という性質を持っています。

例えば、日本銀行が発行する日本銀行券(一万円札、五千円札、二千円札、千円札等)は、日本銀行がその金額を借りているという証明書なのです。不思議な感じがするかもしれませんが、管理通貨制のもとでの通貨とはそういう性質のものなのです。

「タリースティック」に話を戻しましょう。「タリースティック」は国王が借用書として発行したものを「納税金に値するもの」として流通させ、通貨としての性質を持つようになりました。まさに、現在の管理通貨制における通貨(お札)と同じものだったと言えます。つまり、「タリースティック」こそが、世界最初の不換紙幣(紙ではなく、木ですが)であり、ヘンリー1世が「タリースティック」を発行し、「納税金に値する」と宣言した瞬間こそが、世界で初めて管理通貨制が始まったときだと言えるのです。

また、「タリースティック」は、それまで銀行家が持っていた通貨発行権を、国王が取り戻したという点でも大きな意味がありました。

その後、金本位制(銀行家による通貨発行)と管理通貨制(国王などの為政者による通貨発行)がせめぎ合い、戦争や革命が繰り返されることになるのですが、その話の詳細は仮想通貨を語る本書の主旨からはかけ離れてしまいますので、興味のある方は拙著『日本人だけが知らない戦争論』(フォレスト出版・刊)等をご参照いただければと思います。

おすすめの記事